【2019福島出張旅】会津前泊ご褒美旅♪ その3
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【2019福島出張旅】会津前泊ご褒美旅♪ その1 - 六花日和
【2019福島出張旅】会津前泊ご褒美旅♪ その2 - 六花日和
お昼ご飯を食べた後、バス停まで戻って、次の目的地、鶴ヶ城へ向かいます。
まちなか周遊バスで、七日町中央→鶴ヶ城前へ。
バス停から道路を渡って、お堀沿いを進んで入城します。
城の内部が見えないように石垣が配置されているとか。
ここは「北出丸」という場所で、城の大手口(正門)を守る重要拠点だったとか。
今も敵を迎え撃つ「大腰掛け」が残っています。
万一敵が北出丸まで侵入しても左右上・横の四方から攻撃出来ることから「みなごろし丸」tの別名もあるのだとか…みなごろしって。。。
戊辰戦争では、新政府軍がここまで押し寄せたそうですが、ここから先へは攻め入ることが出来なかったそうです。
北出丸を進み、内堀に架かる少しなだらかな「椿坂」があり、太鼓門(大手門があった枡形と呼ばれる場所があります。
写真の中央にある大きな石は重さ7トンもあるのだとか。
沢山の人が引いてここまで運んできたけれど、椿坂は登れず、みんな諦めかけてしまい、力が出なかったのだとか…それで、美女を石の上に乗せて勢いをつけて石を運んだという「いつの時代も男って!!」という逸話があるということで、この大きな石は「遊女石」と呼ばれているのだとか。。。
ここにはボランティアガイドさんもいるので、詳しい説明もしてくれるそうですよ。
ここは「太鼓門(大手門)」が あった場所で、天守閣から表門をつなぐ走り長屋とともに表門を守り、帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ要となっていたそうです。
1か月にわたる籠城攻防の末の降伏の際には、この門に白旗が掲げられたのだとか…
太鼓門を抜けると、ようやく天守閣が見えます。
鶴ヶ城は、戊辰戦争で新政府軍の攻撃により籠城一か月の後、降伏はしたけれど落城はしなかった、難攻不落のお城です。
戦い抜いたお城は、明治7年に取り壊され、今のお城は昭和40年に復元され、平成13年に南走長屋と干飯櫓が復元、平成23年には本来と同じ赤瓦に吹き替えられ、今は幕末の鶴ヶ城の姿を見ることが出来ます。
私は20年くらい前に友人と訪れているのですが、平成27年改装前の瓦が変わる前だったので、今回は絶対来たかった場所でした。
本来の赤瓦の天守閣を見ることが出来て、よかった~♪
天守閣内部も観覧しました。
1層の部分は貯蔵庫になっていて、塩とか保管されていたとのこと。
中に入ると、ヒンヤリとまるで冷房が入っているかのような涼しさ!!
天守閣内部は博物館になっており、興味深い資料が沢山展示されていました。
私が一番心打たれたのは、降伏直後の天守閣の写真。
崩落寸前の、よくここまで耐えたなぁという天守閣の姿に、涙が出そうになりました。
実は私、近代の歴史は知識が浅く…戊辰戦争が起こった経緯や会津攻防についてはよく分からなかったので、じっくり資料を見て勉強してきました。
白虎隊って、攻防戦初日に勘違いで自害してしまったのね…まだ15~16歳の子供だけで編成された部隊だったとか。いかに混乱していたかが伺えます。
「八重の桜」をもう一度見てみたくなりました。
天守閣最上層からの景色。
丁度中央あたり…ポールが見える後ろの山が「飯盛山」になります。
あの山から白虎隊は落城したと勘違いしちゃったのねぇ…と感慨深く思ったり。
予定よりも長く滞在し、15:30を過ぎてしまいました。。。
予定では15:00頃には鶴ヶ城を出る予定だったのですが(;^ω^)
次のバスの時間も16:00過ぎになってしまうので、この後予定していた「飯盛山」と「さざえ堂」は断念…今回も行くことが叶わず…;つД`)
鶴ヶ城会館に立ち寄り、ジェラートを食べて、宿へ向かうことにしました。